覚せい剤密輸の裁判員裁判で、違法収集証拠排除が認められ、無罪判決を獲得しました!

弁護士 上田 真生

1 はじめに

権力の暴走から私たちの暮らす社会を守る、そのような意義をもつ無罪判決を勝ち取りました。
令和2年6月19日、覚せい剤取締法違反及び関税法違反被告事件(覚せい剤密輸)の裁判員裁判で、違法収集証拠排除法則の適用による無罪判決を獲得しました(弁護人2名の共同受任)。同意も令状もなく旅客のスーツケースを破壊した税関検査に重大な違法があるとして、覚せい剤等が証拠排除されたために、有罪の証拠が存在せず「疑わしきは被告人の利益に」の原則どおり無罪が言い渡された事件です。
この判決は、検察側からの控訴なく確定しました。

2 事案の概要

平成30年の年末頃、スロバキア人である依頼者は、衣類等を詰めたスーツケースを持って来日しました。来日した依頼者は、日本到着直後に行われた税関検査で、その所持していたスーツケースの中に覚せい剤が隠匿されていると、税関職員から疑われました。そして、そのスーツケースを同意も令状もなく、布部分をカッターで切り裂く、プラスチック部分をバールで外すなどの方法で、バラバラに破壊されました。
そうした一連の税関検査の中では、検査の状況が詳細に記載された手書きメモが、リアルタイムで税関職員により作成されていました。この手書きメモには、依頼者が「解体同意書へのサインを拒否した」という内容と、最終的に「破壊検査に口頭で同意した」という内容が、ともに記載されていました。

3 審理の大まかな流れ

(1)  当初の争点

公判前整理手続から公判にかけて一貫して、「破壊検査への(口頭の)同意の有無」が主たる争点とされました(争点①)。
すなわち、検察側は、解体検査同意書へのサインが拒否された事実を争わず、ただし口頭の同意が存在するため破壊検査への「同意はあった」といえ、令状なく行われた本件破壊検査は適法であると主張していました。
これに対し、弁護側は、書面による同意も口頭による同意もなく、それゆえ本件破壊検査は同意も令状もなく行われた重大な違法処分であり、これによって得られた覚醒剤や鑑定書等の証拠を事実認定の証拠から排除すべきであると主張していました。
なお、真偽や理由は不明ですが、検査状況について映像記録や音声記録等の客観証拠は全く存在しない、とのことでした。そのため、検察側は、上記口頭の同意の存在について、税関職員3名の法廷での証言と、税関職員作成の前記手書きメモによって立証しようとしました。

(2)  争点①に対する裁判所の判断

結論として裁判所は、英語での口頭のやり取りに意思疎通の齟齬があったこと、書面で拒否しつつ口頭で同意するような矛盾挙動をとること自体が考えにくいこと等の理由を挙げ、「(口頭の)同意はなかった」との事実を認定しました。
その上で、本件破壊検査がスーツケースの原状回復を不可能とする点で財産権侵害の違法性の程度が大きいこと、無令状で破壊検査に踏み切らねばならないほどの緊急性が存在していなかったこと、通訳人の到着を待つことも事前告知をすることもなく突然破壊検査を開始した行為は実質的な意思抑圧に当たること、権利擁護に対する税関職員の意識の欠如が顕著であること等の理由を挙げ、違法の程度は重大であると認定しました。
そして、違法収集証拠排除法則を適用し、スーツケースの中から発見された覚せい剤等の証拠を排除するとの中間決定が出されました。

(3)  検察側から提示された新たな主張

上記中間決定が出たことにより、無罪はほぼ確実となりました。
ところが、検察側は、令和2年3月上旬に予定されていた判決期日の前日になって突然、新たな追加主張をしてきました。すなわち、郵便物の破壊検査に関し同意や令状を不要とした最高裁平成28年12月9日判決を持ち出し、そもそも「破壊検査において同意や令状は不要である」と主張してきました(争点②)。
判決宣告は、この突然の追加主張により延期となり、さらにその後新型コロナ問題が発生したことにより、当初の予定よりも約3ヶ月半も遅れて行われることになりました。

4 審理の内容

以下で、具体的な審理の内容について報告します。

(1)  本件破壊検査への同意の有無(争点①)について

依頼者は、スロバキア人でしたが、長期間イギリスに滞在していたため、イギリス英語を話すことができました。他方、税関検査を主導した税関職員A(以下「A」といいます。)は、TOEIC 835点の成績を持っていましたが、あくまで話せるのはアメリカ英語でした。そして、依頼者とAとの意思疎通は、英語により行われました。イギリス英語には、アメリカ英語にはない独特の発音の仕方があり、一般的に「聞き取りにくい」と言われることがあります。そのため、依頼者とAのやり取りには複数回にわたり意思疎通の齟齬が認められ、また、Aは依頼者の発言に聞き取れない部分があることを認識していました。
税関検査が進み、X線検査等によりスーツケースの中に違法薬物が隠匿されている可能性が高いと考えたAは、依頼者に対し2度にわたり「解体検査同意書」を示し、サインを求めました。依頼者は、この2度の要求に対し、2度とも拒否しました。ところが、2度目のサイン拒否の直後、スーツケースの破壊検査が開始されました。破壊検査開始の事前告知はなく、依頼者は、気づいた時点でかなりの程度破壊が進んでいたことから、それ以上の反発を断念しました。
この破壊検査開始の原因を端的に示すと、「意思疎通の齟齬」と「Aの重大な過失」です。すなわち、依頼者は、解体検査同意書へのサインを2度にわたり拒否し、その上で「破壊することはOKか?」というAの口頭の問いかけに対し「That’s not OK」と答えました。ところが、イギリス英語だとこれが「ツノーケー」という発音となり、聞いた側としてはともすれば語尾の「OK」の部分のみが耳に残る形で聞こえてくるものでした。Aは、この「ツノーケー」を聞いただけで、「破壊OK」という口頭の同意があったものと決めつけました。
そもそも「書面へのサインを拒否しつつ、その書面の内容に口頭で同意する」という矛盾挙動をとること自体、通常起こり得ない現象といえます。契約において契約書へサインする場面を想像すれば、このことは明らかです。順番が逆であれば話は別ですが、「書面へのサインを拒否」した後、その拒否の姿勢を維持しながら「書面の内容に口頭で同意」するというのは、社会常識に照らして極めて稀有な現象であるといえます。これは、弁護人が一番重視したポイントで、冒頭陳述の一言目で強調して提示した問題意識でした。
Aは、複数回にわたる意思疎通の齟齬を認識しながら、またサイン拒否という「破壊OK」と矛盾する行動を2度も目にしながら、しかも令状取得に何の障害もなかったにもかかわらず、安易にも破壊検査を強行したことになります。証人尋問や被告人質問等で顕出され判決で認定された事実からすると、Aが故意に匹敵するほどの重大な過失により重大な違法な検査をしたことは明らかでした。

(2)  破壊検査における同意や令状の要否(争点②)について

判決宣告直前になって突如追加された検察官の新主張は、郵便物の破壊検査において検査対象物の持ち主(荷送人・荷受人)の同意や裁判官の令状を不要とした最高裁平成28年12月9日判決の示した考え方が本件に妥当する、というものでした。
しかし、本件のように旅客の目の前で行う通常の税関検査の場合、郵便物検査と比較して検査総数が遥かに少ないゆえ、同意を求めやすく令状も請求しやすい状況にあるといえます。また、この通常の税関検査の場合、郵便物検査の場合と異なり検査者が目の前にいるゆえ、同意を求めやすい状況にあるともいえます。検察官の新主張は、こうした両検査の性質の違いを完全に看過するものでした。弁護側は、以上のような反論をしました。
裁判所は、こうした両検査の性質の違いに着目する弁護側の反論をほぼ全面的に採用しました。その上で、証拠排除の中間決定を維持し、結論として全部無罪判決を言い渡しました。

5 弁護において工夫した点

「重大な違法捜査が行われたから無罪」という結論に対して抱きうる裁判員の疑念に対し、どう立ち向かうか、どう説得的に説明するか、このことについて非常に悩みました。
そこで、「最初に正しい理解をしてもらう」ことが肝心であると考え、冒頭陳述を工夫しました。まず、先ほど述べたように、「書面へのサインを拒否しつつ、その書面の内容に口頭で同意する」ことが非常に稀有な現象であるという誰もが共感しやすい問題意識を、最初に強調して提示しました。そして、冒頭陳述の終盤では、違法収集証拠排除法則の存在意義について、少し詳し目に話しました。端的に言うと、将来の違法捜査から私たちを守ってくれるルール、国家権力の暴走に怯える必要のない社会、私たちが安心して暮らしていける社会を維持するための大切なルールである、そのような話をしました。
本件で税関職員は、法律や憲法を無視し、個人の所有物を破壊しました。もし証拠排除しなければ、権力を持つ立場の者は味をしめ、今後たくさんの違法な行為が繰り返されてしまいます。
そうした権力の暴走から私たちの暮らす社会を将来にわたり守る、このような重要な意義が本件にはあるという信念で、弁護をしてきました。そして、権力の暴走を許さないという判断を、法律知識を持たない裁判員が勇気を出して下してくれました。この裁判員裁判が、様々かつ深刻な問題を抱える日本の刑事司法を変える1つのきっかけになることを、強く願ってやみません。

以上